どーもヒモリです。
例えば
という表現を良く耳にするのですが、実はこの言葉、非常に重要な言葉だと実感しています。
まず、「例えば」という言葉を使う事により、今明確に解らない物事を簡単に説明する事ができます。
聞き手は、その例えられた表現を元に、その解らない物事に対して大まかなイメージを膨らませます。
そして具体的な例を呈示される事で、自分の持つイメージとそれを照らし合わせるのです。
僕はこの、会話の中での些細なやりとりに疑問を感じる事があります。
それは、「イメージ」です。
イメージと行っても一概には言えませんが、「例えば」という言葉にはどうしてもこれが付き纏います。
話し手は、聞き手に対してその人が完璧に把握していない事に関して説明します。
説明する、それだけなら問題ないのですが、「例えば」を使う事により、元の内容とは少し離れた内容を聞き手に伝える事になります。
聞き手はそれを聞いて自分でイメージし、理解するのですが、それは理解とは言えません。
何故なら、僕たち人間は、人により様々な先入観を持っているからです。
苺 という言葉に対して、「甘い」と連想する人もいれば「赤い」と連想する人もいます。
どちらも正解ですが、そこに問題があるのです。
「甘くて赤くて大きさは~センチくらいで…」
と連想する人は少ないと思います。
そもそも、「甘い」という言葉自体が非常に抽象的な言葉です。
そんな、十人十色なイメージの中で、果たして聞き手話し手が、「例えば」この4文字で明確に物事を伝えられるかといったら、間違いなく不可能なのです。
しかし、我々人間は「例えば」を日常的に用いて、尚且つ会話を円滑に進める事が出来るのです。
何故なら、イメージ、それこそが人間の理解の全てだから。
1+1=2を、わざわざ例えなくても伝わるのと一緒で、物事全てを理解する事は不可能、逆にイメージのそれだけで何ごとも解ったように考える事が出来る。
僕は「例えば」と言う言葉に非常に疑問を感じます。
イメージでは伝わらないもの
僕はそんな物事を大事にしていきたいです。
例えば
笑顔
とかね。
今日は、国語の教科書っぽい日記でした。
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